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ASTER副理事長である古川善吾氏が2013年3月30日に逝去されました。
古川氏は、JaSST東京共同実行委員長、JaSST四国実行委員長、JaSST九州アドバイザ、JSTQB諮問委員なども務められ、日本のソフトウェアテスト技術の振興に尽力されました。
2013年3月30日未明に古川善吾先生が永眠されました。先生は、香川大学にてソフトウェアテストの研究・教育に励まれると共に、私たちNPO法人ソフトウェアテスト技術振興協会(ASTER)の副理事長を務めるなど、日本のソフトウェアテストの技術振興や人材育成、コミュニティ活性化を長く牽引してこられました。
先生は日立製作所システム開發研究所、九州大学、香川大学で要職を歴任され、多くの学術論文を著しておられます。また情報処理学会四国支部長やソフトウェア・シンポジウム(SS)2008実行委員長、ASTER副理事長、ソフトウェアテストシンポジウム(JaSST)東京共同実行委員長、JaSST四国実行委員長、日本ソフトウェアテスト資格認定制度(JSTQB)諮問委員会委員など産学連携活動も積極的に推進されました。特に高松を中心に四国地域のソフトウェア産業の振興や技術交流の場の醸成に熱心に取り組んでこられました。宮崎大学の片山徹郎先生や九州大学の伊東栄典先生、香川大学の高木智彦先生、富士ゼロックスの秋山浩一氏、NTTデータの町田欣史氏など優秀な後進を育ててこられたことでも知られています。
古川先生は副理事長として、私たちのNPO法人ASTERでも学術振興や産学連携を積極的に進めるべきだという信念をお持ちでした。そこで国内のソフトウェアのテストや品質技術の向上に寄与する傑出した学術論文を、学会やコミュニティを問わずに表彰し、授賞者が海外でその成果を発表できるよう支援する制度を2008年から始められました。毎年1月に表彰式が行われ、先生の暖かい笑顔と励ましの言葉と共に表彰状が授与されています。賞の名称を検討していた際に、先生は本当に固辞されたのですが、残り全員で半ば強引に「善吾賞」と古川先生のお名前を戴くことにしてしまいました。ちょっと勘弁して下さい、と非常に照れてらっしゃったことを懐かしく思い出します。
私が初めて古川先生にお会いしたのは、2002年6月のことでした。新橋にある第一ホテル東京のティールーム。今でも覚えています。勢いばかりで右も左も分からない失礼な若僧だった私に対して、ガンバレ、自分にできることは何でもする、と暖かい笑顔で激励して頂きました。懐の深い方だなぁ、そう思ったのを記憶しています。以来たった10年と9ヶ月でしたが、技術の面も人間性の面もたくさん指導して頂きました。色々と肩に力が入っていた私に対して、古川先生がニカッと笑いながら「にしさん、みんなに任せればいいんだよ。素晴らしい人たちばかりなんだから。『じゃあ、よろしく』って言えば、ちゃんとやってくれるさ。」とアドバイスして下さったお姿が、目を閉じると昨日のことのように浮かびます。
先生がJaSSTを推進されるにあたり、初めに5つの目標を示されました。人のコミュニティの拡大、技術動向の把握、実証の場の醸成、研究テーマの発掘、資金の継続的循環です。これに基づいて、JaSSTからASTER、JSTQBなどと私たちは活動を拡げていきました。先生のご尽力で、日本のソフトウェアテストの技術やコミュニティは活発になりました。その道半ばで先生が倒れられたのは本当に口惜しく、残念です。私たちは、天国にいらっしゃる先生に恥じぬよう、頑張っていきたいと思います。善吾賞でたくさんの日本の研究者や技術者を海外に送り出していきます。どうか、いつまで経っても若輩の私たちを、その暖かい笑顔で見守っていて下さい。「じゃあ、よろしく」と最後に託して頂いたのだと思い、もう悲しまないようにしたいと思います。先生、本当にありがとうございました。天国が禁煙ではないことを祈っています。安らかにお休み下さい。
古川善吾先生に精一杯の感謝を込めて。
香川大学の古川善吾先生が、ご病気のため2013年3月30日にご逝去されました。
古川先生は、2003年のソフトウェアテストシンポジウム(JaSST)開始当初より、JaSST東京の共同実行委員長としてこのJaSSTをずっと支えてくださっていました。
また、2008年からはJaSST四国の実行委員長を務められるなど、全国各地で行われるJaSSTの活動でもご尽力されてきました。
その存在の大きさはとても計りしれるものではありません。
今年(2013年)1月に行われたJaSST東京でも、先生は、檀上でいつものように優しい笑顔で、そして楽しそうにソフトウェアテストのことを語ってくださいました。
そのJaSSTの父である古川先生をあまりにも突然に失ったことで、今はただただ残念で、悲しみに暮れていますが、この先われわれが古川先生の意思をしっかりと引き継いで、先生がJaSSTを通じて描きたかった絵の続きを描き続けていきたいと思います。
古川先生に対する多大なる感謝の思いを込めて。